それにつけてもフランスの労組はすごいですね。多少やり過ぎの感がしなくもないですが、非常に創造的ですね。石油貯蔵施設の組合がストに入るとは予想していませんでした。
これを労組の暴走だととらえる日本人も多いのではないかと思います。でも僕としては民主主義だなと、改めて感じます。
「マニフェスト」などという仰々しい外来語を用いて選挙民に約束したことを、ことごとく反故にする現在の日本の政権は選挙さえ終わればこっちのものという、国民や民主主義をないがしろにしてひたすら権力の維持に奔走する姿に、情けなさを通り越して卑しさを感じるこの頃です。
問題なのは、現在の日本では、選挙以外で国民の意思を表明する機会がほとんど無いことです。強いてあげればマスコミの世論調査ですが、その調査対象の多くは個別の政策ではなく、政権全体への印象を問うものです。
そうした曖昧な調査ですから、「首相の人柄が信頼できる」などという、政策とほとんど関係ない項目で政権への支持が決まってしまいます。こういう項目は全くくだらないですね。それに答えた人々は首相とが話をしたことがあるのでしょうか。現在の管首相が人柄がよいかどうかどうかは私にはわかりかねますが、人柄云々はどうでもいいではないですか。要は国民が合理的と判断でいる政策を実行できるか否かですよね。
話が横道にそれましたが、もっと日本人は個別の政策にシビアになった方がいいのではないでしょうか。首相の人柄が信頼で入るなどといって、お任せにしてしまうのはやめにしてはどうでしょうか。フランス並みとは言わないまでも、個々の政策に対して国民から明確な意思表示ができるような方策を考えるべきではないでしょうか。
選挙をやれば民主主義なのではなく、国民の意思が個々の政策に反映されてこそ民主主義なのですから。
2010年10月19日火曜日
2010年6月29日火曜日
あまりにも情けない民主党
更新が滞っていました。
フランス滞在のまとめをするといって、まだでした。
それはまたいずれの機会にして・・・
今日は日本の政治について、発言します。
民主党はあまりに情けない。管総理はじめ執行部は何を考えているのか。
ここ数日の言動をみていると、彼らは何のために選挙を戦っているのか、と改めて考えさせる。
現在の日本の財政状況を考えれば、増税は仕方ない、と考える。それが消費税増税というかたちがもっとも適切かは意見があるかもしれないが、少なくとも欧州諸国に比べれば日本の消費税額は低いのであるから検討する余地はあろう。
それゆえに、管総理が参議院選直前に消費税増に言及したことは勇気のあることであるし、評価したいと思う。
このことを昨年の衆議院選の公約違反だと批判するのは適当ではない。野党時代でもわかることのできたことであるが、危機はいつ起こるかわからない。過去の公約に縛られ続けて、それが選挙目当ての口当たりのよい公約であればなおさら、そのような公約を守り通すことが日本にとっていいこととは思えない。
それでは嘘つきになる、という意見もあるであろう。私もそのような公約を掲げて勝った後に、やっぱりできません、では嘘つきだと思う。それでも、できないことはできない、とはっきりと言うべきだとも思う。できないとわかっていることを、できるように頑張りますというのは、ごまかし以外の何ものでもない。
もし嘘つきになることに後ろめたさを感じるのであれば(まず感じていないと思うが)、衆議院を解散してもう一度総選挙を戦ったらどうであろうか。それぐらいの潔さがないと、国民が期待した変革を実現する党とは思えない。
ここ数日、管総理をはじめとして民主党は消費税増の話をトーンダウンしてきた。内閣支持率が急速に落ちたからであろうか。また、なめることのできない飴をぶら下げるような選挙をするのか。
内閣総理大臣のような地位にある人間を、我々は政治指導者と呼ぶ。指導者は国民からの支持を得なければならない。でもそのために国民に迎合しては指導者とはいえない。指導者とあろうとすれば時には国民に対して国民が嫌がることもしなければならない。
そのような場合、指導者にとって重要なことは、国民が嫌がることをきちんと説明して納得させられるか、であろう。支持率が10数パーセント程度落ちたからといって、すぐ引っ込めてしまうような情けなさではとても国民を説得するようなことができるとは思えない。
昨年の総選挙で国民は民主党を勝たせた、民主党が勝ったのではない、国民が民主党を勝たせたのだ。
昨年の民主党は、選挙に勝つことのみを「目的」にしていた。しかし国民はそのような民主党を勝たせたのは、その目的を果たさせるためではない、民主党に新しい与党として日本を変えて欲しかったから勝たせたと思う。国民は民主党が変化をもたらすための「手段」として国家権力を与えたのである。
残念ながら「手段」としての国家権力は有効に使われないまま、1年が過ぎ去ろうとしている。そればかりか依然として「目的」としての国家権力確保にばかり目が向いている。
こんな正論を言わせたくなるような今の状況は本当に情けない、と思う。
フランス滞在のまとめをするといって、まだでした。
それはまたいずれの機会にして・・・
今日は日本の政治について、発言します。
民主党はあまりに情けない。管総理はじめ執行部は何を考えているのか。
ここ数日の言動をみていると、彼らは何のために選挙を戦っているのか、と改めて考えさせる。
現在の日本の財政状況を考えれば、増税は仕方ない、と考える。それが消費税増税というかたちがもっとも適切かは意見があるかもしれないが、少なくとも欧州諸国に比べれば日本の消費税額は低いのであるから検討する余地はあろう。
それゆえに、管総理が参議院選直前に消費税増に言及したことは勇気のあることであるし、評価したいと思う。
このことを昨年の衆議院選の公約違反だと批判するのは適当ではない。野党時代でもわかることのできたことであるが、危機はいつ起こるかわからない。過去の公約に縛られ続けて、それが選挙目当ての口当たりのよい公約であればなおさら、そのような公約を守り通すことが日本にとっていいこととは思えない。
それでは嘘つきになる、という意見もあるであろう。私もそのような公約を掲げて勝った後に、やっぱりできません、では嘘つきだと思う。それでも、できないことはできない、とはっきりと言うべきだとも思う。できないとわかっていることを、できるように頑張りますというのは、ごまかし以外の何ものでもない。
もし嘘つきになることに後ろめたさを感じるのであれば(まず感じていないと思うが)、衆議院を解散してもう一度総選挙を戦ったらどうであろうか。それぐらいの潔さがないと、国民が期待した変革を実現する党とは思えない。
ここ数日、管総理をはじめとして民主党は消費税増の話をトーンダウンしてきた。内閣支持率が急速に落ちたからであろうか。また、なめることのできない飴をぶら下げるような選挙をするのか。
内閣総理大臣のような地位にある人間を、我々は政治指導者と呼ぶ。指導者は国民からの支持を得なければならない。でもそのために国民に迎合しては指導者とはいえない。指導者とあろうとすれば時には国民に対して国民が嫌がることもしなければならない。
そのような場合、指導者にとって重要なことは、国民が嫌がることをきちんと説明して納得させられるか、であろう。支持率が10数パーセント程度落ちたからといって、すぐ引っ込めてしまうような情けなさではとても国民を説得するようなことができるとは思えない。
昨年の総選挙で国民は民主党を勝たせた、民主党が勝ったのではない、国民が民主党を勝たせたのだ。
昨年の民主党は、選挙に勝つことのみを「目的」にしていた。しかし国民はそのような民主党を勝たせたのは、その目的を果たさせるためではない、民主党に新しい与党として日本を変えて欲しかったから勝たせたと思う。国民は民主党が変化をもたらすための「手段」として国家権力を与えたのである。
残念ながら「手段」としての国家権力は有効に使われないまま、1年が過ぎ去ろうとしている。そればかりか依然として「目的」としての国家権力確保にばかり目が向いている。
こんな正論を言わせたくなるような今の状況は本当に情けない、と思う。
2010年4月3日土曜日
とりあえずのまとめ
そういえばフランス滞在の簡単なまとめをしようと準備していたのですが、アップするのをすっかり忘れていました。ずいぶん時間が経っていますね・・・
以下まとめです。とりあえずですね。ちゃんとしたまとめは研究成果として公表したいと思います。
まず、その国を理解するにはマルチな視点が必要である、ということです。
今回の滞在はフランスですが、フランスを理解するにはフランス国内ばかりをみていては不十分で、フランスがその周辺国や、地域(欧州や地中海)、国際社会(他の地域)との間にどのような関係が築かれ、それら国際的なアクターとフランスがどのように影響を及ぼし合っているかをも考える必要があるでしょう。
しかし、これはあくまでも僕の印象ですが、上記のような視点は広く受け入れられていないと感じます。というのは、フランスを理解すること=イコールフランスの「本質」を理解すること、ととる人がいます。そこでいわれているフランスの「本質」とは、ヴェルサイユや凱旋門、エッフェル塔に象徴されるフランスにある建造物や、オルセー美術館で展示されているフランスの中で育まれた絵画や彫刻といった芸術作品、フランス料理に代表される食文化等々のようです。もちろん、そういったことがフランスの文化やアイデンティティを構成していることを否定しません。
ところが例えば植民地や移民といったことは、フランスの「本質」とみなされていないようです。植民地や移民なんてフランスの外のことだ、そんなことはフランスの「本質」ではない、というような。
そういった事をいう人たちは不毛な競争をしているような気がします。つまり、誰にもまして自分がフランスを一番理解している、一番理解しているとはフランスの「本質」を知っている、というような。
これは、なにもフランスを研究対象にしている研究者に限ったことではありません。諸外国や異文化を研究対象にしている研究者にみることができます。あいつは研究対象となる地域や文化をわかっていない、おれの方がわかっている、と同業他者に対していうような。
他人の脳みその中をすべて見ることはできないんだし、きちんと比べることできる物差しがあるかどうかもわからないんだから、自己満足以外の何ものでもないそんな競争で満足するなよ、と思いますけどね。学問というのは他人と比べてどうこうというのではなく、自分が研究対象にどれほど向き合うことのできるのか、が問われるものと私は理解しています。
ちょっと話が横道にそれました。
ですから「本質」だといって、非常に狭い視点に閉じこもってしまっては本末転倒のような気がします。自分が日本人の中でもっともフランス(ちょっと大きな括りですが)を理解している、それはフランスの「本質」を理解しているからである。フランスの「本質」とは、フランス国内で育まれてきた歴史や文化であり、植民地や移民などは「本質」ではなく「邪道」であると、いうのは「偏狭な二国間主義的視点」に陥っていると思います。
今回の滞在は、この「偏狭な二国間主義的視点」からの脱却することの重要性を感じさせられましたね。
というわけで、以後は日本から書きます(もう書いていますね)。
以下まとめです。とりあえずですね。ちゃんとしたまとめは研究成果として公表したいと思います。
まず、その国を理解するにはマルチな視点が必要である、ということです。
今回の滞在はフランスですが、フランスを理解するにはフランス国内ばかりをみていては不十分で、フランスがその周辺国や、地域(欧州や地中海)、国際社会(他の地域)との間にどのような関係が築かれ、それら国際的なアクターとフランスがどのように影響を及ぼし合っているかをも考える必要があるでしょう。
しかし、これはあくまでも僕の印象ですが、上記のような視点は広く受け入れられていないと感じます。というのは、フランスを理解すること=イコールフランスの「本質」を理解すること、ととる人がいます。そこでいわれているフランスの「本質」とは、ヴェルサイユや凱旋門、エッフェル塔に象徴されるフランスにある建造物や、オルセー美術館で展示されているフランスの中で育まれた絵画や彫刻といった芸術作品、フランス料理に代表される食文化等々のようです。もちろん、そういったことがフランスの文化やアイデンティティを構成していることを否定しません。
ところが例えば植民地や移民といったことは、フランスの「本質」とみなされていないようです。植民地や移民なんてフランスの外のことだ、そんなことはフランスの「本質」ではない、というような。
そういった事をいう人たちは不毛な競争をしているような気がします。つまり、誰にもまして自分がフランスを一番理解している、一番理解しているとはフランスの「本質」を知っている、というような。
これは、なにもフランスを研究対象にしている研究者に限ったことではありません。諸外国や異文化を研究対象にしている研究者にみることができます。あいつは研究対象となる地域や文化をわかっていない、おれの方がわかっている、と同業他者に対していうような。
他人の脳みその中をすべて見ることはできないんだし、きちんと比べることできる物差しがあるかどうかもわからないんだから、自己満足以外の何ものでもないそんな競争で満足するなよ、と思いますけどね。学問というのは他人と比べてどうこうというのではなく、自分が研究対象にどれほど向き合うことのできるのか、が問われるものと私は理解しています。
ちょっと話が横道にそれました。
ですから「本質」だといって、非常に狭い視点に閉じこもってしまっては本末転倒のような気がします。自分が日本人の中でもっともフランス(ちょっと大きな括りですが)を理解している、それはフランスの「本質」を理解しているからである。フランスの「本質」とは、フランス国内で育まれてきた歴史や文化であり、植民地や移民などは「本質」ではなく「邪道」であると、いうのは「偏狭な二国間主義的視点」に陥っていると思います。
今回の滞在は、この「偏狭な二国間主義的視点」からの脱却することの重要性を感じさせられましたね。
というわけで、以後は日本から書きます(もう書いていますね)。
2010年4月1日木曜日
パリ出発と帰国
帰国しました。
パリでの1年間はいろいろありましたが、あっという間でした。
本当は帰国前に「まとめ」をしておきたかったのですが、出発前はかなり慌ただしかったので・・・
これから「まとめ」をアップしていきます。
という予告で、とりあえず。
パリでの1年間はいろいろありましたが、あっという間でした。
本当は帰国前に「まとめ」をしておきたかったのですが、出発前はかなり慌ただしかったので・・・
これから「まとめ」をアップしていきます。
という予告で、とりあえず。
2010年3月25日木曜日
国立公文書館とお昼
3月末で離仏しますので、もうパリ滞在も本当に残すところあと僅か。
ここのところパリは暖かい日が続いていて、それに併せてか、僕の体調もかなり回復しました。
それでももう引っ越しの準備で国立公文書館に入り浸る時間はないので、仕方ありません、国立公文書館での作業は宿題になってしまいました。現時点で入手した史料でも十分に研究が行えますが、もっとみることができるのであれば、やはりみてみたいですね。またパリに来るしかありません。それでも文書の閲覧許可はずっと有効ですから、これさえ入手できればまたパリに来て続きをすぐみることができます。
ちなみに国立公文書館には食堂や売店のようなものはなく、1日中そこにいる場合はどこかで食べる必要があります。時間に余裕があれば、近くのカフェで済ませるのでしょうけど、時間に余裕のない僕や他の閲覧者のほとんどは、サンドイッチやお弁当持参で公文書館1階のホールでむしゃむしゃ食べています。
そこで近くのパン屋さんを少しまわってみましたが、この写真のパン屋のサンドイッチはなかなかでした。ドライトマトがはいっているのが美味かったですね。さらにこのお店、デザートが美味しいです。フロン(Flan)好きの僕としては、ここのフロンは最高ですね。他のデザートも試してみましたが、リンゴのタルトとかガトー・バスクとか、それらも美味。
それでは、あともう1回ぐらい更新できるでしょうか?
2010年3月15日月曜日
RER B線に乗って
RERはパリ市と郊外を結ぶ鉄道です。現在A線からE線まで5つの路線があります。
僕は前にも書いたように外交史料館へいくときにB線を利用していますが、客層はパリ市内、特にパリ中心部を走るメトロとはずいぶん違います。いわゆる白人はほとんどいません。アフリカ系、マグレブ系、中国系、その他の非白人層がほとんどです。その中には不法移民や一時滞在者もいるかもしれませんが、そういった人以外はフランス人です。
最初に乗るとちょっとびっくりするかもしれません。これがフランス?みたいな
でもこれがフランスの現実なんですよね。この現実を体験することって日本、特に日本の若者に必要なのではないのかなと思いました(体験というほど大げさなものではないかもしれませんが)。
というのはB線の乗客の皆さんは異文化を背景に持っている、それでもフランスで共存することを選んでいる(選ばざるをえないのかもしれませんが)人々です。日本で異文化を背景にもっている人々と交流するのは可能かもしれませんが、誰しもがというわけではないでしょう。むしろ日本は異文化を背景にもつ人々を排除する方向でここまできた(移民の受け入れに消極的なように)のですが、パリに限らず世界の多くの国や大都市では、異文化の混在と接触が日常茶飯事です。ところが日本人が圧倒的多数の社会でのみ育ってきた若者はこういった現実というか日常に接触する機会が少ないわけで、もうそれだけで国際的感覚がずれてしまうような気がします。
そのような人々と接触しなくてもいいじゃないか、そういった人たちが来ることで治安が悪くなっては困る、という意見もあるでしょう。
たしかに治安の問題は重要で、きちんと対応すべきだと思います。でも移民の人々すべてが治安を乱す人々ではないですよね。実際にRER車内では、ちょっとつっぱった風貌の移民系の若者の隣に座ろうとしたら、ちゃんとどいて座らせてくれました(僕は人を怖がらせるような風貌ではないので(笑)、もっともB線は治安の悪いとの評判の路線ではあるのですが、この1年弱の印象として10年ほど前と比べパリは治安がよくなった印象をもちました)。
僕は日本に移民をもっと受け入れろ、ということを言いたいのではありません。若い人たちにそういう世界の現実を知って、ぜひ国際感覚を磨いて欲しい、と思っています。それは、日本の繁栄を求めるのなら、いかに世界の他の国や地域の人々と共存していくかを考えることが重要であるからです。「共存する」、でもこれそう簡単ではないですね。
どうしても日本人であれば、日本を中心に考えがちです。外国との関係も、それが日本にとって利益となるかで判断しがちです。日本にとっての利益とは何なのか、についてはさまざまな意見があると思いますが、自己中心的な視点のみで発想された利益に基づいて判断するようなことをしていたら「共存」なんてとてもできないだろうと僕は考えます。
以前、日本の大学でODAに関する授業をしていたら、学生から日本は財政が危機的状況にあるのに援助をするなんておかしい、との意見がでたことがあります。日本はもうお金がありませんので援助できません、と仮に諸外国に言ったとしましょう、でも日本の街をみてそれを外国の人々に納得させるのは難しいのではないのでしょうか。日本国内でこの不況によって苦しんでいる方々がいるのはわかっていますが、たとえばアフリカから旅行できた人々にそのことをすぐに納得させるような光景があちらこちらでみられる、という状況にはないと思います。また、財政が危機的状況にあるからといって日本が援助もできないような経済的な力しか持っていない国になってしまったとはいえないですよね。日本はもうお金がないから援助できないというのは、一見日本の財政改善に役立つ日本にとって利益となる考えかもしれませんが、外国からみれば、日本は援助もできないような国に落ちぶれたか、と嘲笑され、日本は自分たちのことしか考えていないと批判されるかもしれません。これが日本にとって利益となることなのか、どうでしょうか。もっとも、援助をすること自体が適切かどうか(財政赤字云々の議論はなしで)、という議論はありますが。
さて話をフランスに戻すと、異文化との接触は新しい文化をもたらします。フランスもいつまでも日本で思い描かれている「おフランス」ではもはやありません。それがどこまでメインストリームになるかはわかりませんが、たとえばパリ東部、ヴァンセンヌにある移民史博物館では展示以外にも新しい試みとしての催しを展開しています。
ちょっと長くなりました。今日はこの辺で。
僕は前にも書いたように外交史料館へいくときにB線を利用していますが、客層はパリ市内、特にパリ中心部を走るメトロとはずいぶん違います。いわゆる白人はほとんどいません。アフリカ系、マグレブ系、中国系、その他の非白人層がほとんどです。その中には不法移民や一時滞在者もいるかもしれませんが、そういった人以外はフランス人です。
最初に乗るとちょっとびっくりするかもしれません。これがフランス?みたいな
でもこれがフランスの現実なんですよね。この現実を体験することって日本、特に日本の若者に必要なのではないのかなと思いました(体験というほど大げさなものではないかもしれませんが)。
というのはB線の乗客の皆さんは異文化を背景に持っている、それでもフランスで共存することを選んでいる(選ばざるをえないのかもしれませんが)人々です。日本で異文化を背景にもっている人々と交流するのは可能かもしれませんが、誰しもがというわけではないでしょう。むしろ日本は異文化を背景にもつ人々を排除する方向でここまできた(移民の受け入れに消極的なように)のですが、パリに限らず世界の多くの国や大都市では、異文化の混在と接触が日常茶飯事です。ところが日本人が圧倒的多数の社会でのみ育ってきた若者はこういった現実というか日常に接触する機会が少ないわけで、もうそれだけで国際的感覚がずれてしまうような気がします。
そのような人々と接触しなくてもいいじゃないか、そういった人たちが来ることで治安が悪くなっては困る、という意見もあるでしょう。
たしかに治安の問題は重要で、きちんと対応すべきだと思います。でも移民の人々すべてが治安を乱す人々ではないですよね。実際にRER車内では、ちょっとつっぱった風貌の移民系の若者の隣に座ろうとしたら、ちゃんとどいて座らせてくれました(僕は人を怖がらせるような風貌ではないので(笑)、もっともB線は治安の悪いとの評判の路線ではあるのですが、この1年弱の印象として10年ほど前と比べパリは治安がよくなった印象をもちました)。
僕は日本に移民をもっと受け入れろ、ということを言いたいのではありません。若い人たちにそういう世界の現実を知って、ぜひ国際感覚を磨いて欲しい、と思っています。それは、日本の繁栄を求めるのなら、いかに世界の他の国や地域の人々と共存していくかを考えることが重要であるからです。「共存する」、でもこれそう簡単ではないですね。
どうしても日本人であれば、日本を中心に考えがちです。外国との関係も、それが日本にとって利益となるかで判断しがちです。日本にとっての利益とは何なのか、についてはさまざまな意見があると思いますが、自己中心的な視点のみで発想された利益に基づいて判断するようなことをしていたら「共存」なんてとてもできないだろうと僕は考えます。
以前、日本の大学でODAに関する授業をしていたら、学生から日本は財政が危機的状況にあるのに援助をするなんておかしい、との意見がでたことがあります。日本はもうお金がありませんので援助できません、と仮に諸外国に言ったとしましょう、でも日本の街をみてそれを外国の人々に納得させるのは難しいのではないのでしょうか。日本国内でこの不況によって苦しんでいる方々がいるのはわかっていますが、たとえばアフリカから旅行できた人々にそのことをすぐに納得させるような光景があちらこちらでみられる、という状況にはないと思います。また、財政が危機的状況にあるからといって日本が援助もできないような経済的な力しか持っていない国になってしまったとはいえないですよね。日本はもうお金がないから援助できないというのは、一見日本の財政改善に役立つ日本にとって利益となる考えかもしれませんが、外国からみれば、日本は援助もできないような国に落ちぶれたか、と嘲笑され、日本は自分たちのことしか考えていないと批判されるかもしれません。これが日本にとって利益となることなのか、どうでしょうか。もっとも、援助をすること自体が適切かどうか(財政赤字云々の議論はなしで)、という議論はありますが。
さて話をフランスに戻すと、異文化との接触は新しい文化をもたらします。フランスもいつまでも日本で思い描かれている「おフランス」ではもはやありません。それがどこまでメインストリームになるかはわかりませんが、たとえばパリ東部、ヴァンセンヌにある移民史博物館では展示以外にも新しい試みとしての催しを展開しています。
ちょっと長くなりました。今日はこの辺で。
2010年3月14日日曜日
良いときもあれば悪いときもある、か
先週は週末に、もう10年ほど前にパリで知り合ったご夫婦が僕の一家を招待してくださったり、その翌日には日本での勤務先である名城大学から学会出張で渡仏された先生と久しぶりに会うことができたりとイベントが盛りだくさんで、楽しく過ごせたのですが・・・
火曜日あたりから頭がかなり痛くなり、多少の熱も出て、痛みがとれないので病院へ。
すると過労による肩こりや首のこりからくる症状ではとの診断でした。
せっかく僕がみたいと思っていた史料に閲覧許可が出て公文書館で見ることが出来るようになったのですが、しばしの休養が必要とのことから自宅で休む羽目になってしまいました。
昨日の土曜日に公文書館に足を運んで少し再開してみましたが、やはり作業をしばらく続けると頭痛が再発。頭をまわしたり、首をマッサージしながら作業していたら、隣の女性に変な顔される始末(まあこれは気にしなければいいんですけどね)。
うーん、困りました。フランス滞在期間はもうあと僅かというのに。ちょっと様子見ですね。
ブログに書こうと思っていてなかなか時間がなくて書けなかったことをアップしてみましょうか。
火曜日あたりから頭がかなり痛くなり、多少の熱も出て、痛みがとれないので病院へ。
すると過労による肩こりや首のこりからくる症状ではとの診断でした。
せっかく僕がみたいと思っていた史料に閲覧許可が出て公文書館で見ることが出来るようになったのですが、しばしの休養が必要とのことから自宅で休む羽目になってしまいました。
昨日の土曜日に公文書館に足を運んで少し再開してみましたが、やはり作業をしばらく続けると頭痛が再発。頭をまわしたり、首をマッサージしながら作業していたら、隣の女性に変な顔される始末(まあこれは気にしなければいいんですけどね)。
うーん、困りました。フランス滞在期間はもうあと僅かというのに。ちょっと様子見ですね。
ブログに書こうと思っていてなかなか時間がなくて書けなかったことをアップしてみましょうか。
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