居住地の役所で住基カードをつくってきました。
でも、できあがるまでに1時間も待たされる始末・・・
もちろん窓口が混んでいたわけではないですよ。
要は役所の担当の方が、カードの発行手続きの仕方を理解していなかったんですね。
担当の方がカウンターの後ろでどたばたどたばたしているのがみえます
さらには「ここにカードを挿入して パスワードを入力ください」と機械を僕の目の前に持ってくるのですが、パスワードを入力しようにも、その機械にはテンキーがない・・・
僕が「そっちの機械じゃないでしょうか」と指摘する始末。もちろん僕は役所の関係者でないので、どの機械が必要かは知りませんが、そんなもん素人でもわかりますよ。だって向こうの機械にはテンキーがあるんですから。
そんなこんなで、ようやくカード発行
その直接担当した方含め係の方たちは全員(といっても2名だけですが)平謝り
もちろん怒りはしませんでしたよ。なんかその担当の方が気の毒になってきちゃって。
つまり彼は複雑な手順が理解できていなかったのでしょう。そういった方を担当にしてしまうようなことが問題かなとも思いますが。
それよりもむしろ心配になりました。日本のことが・・・(ちょっとオーバーですが)
というのは、日本はこれまで個人の能力よりも集団の能力によって国際社会の中で勝ち上がってきたと思うんですね。日本人は「和」を大切にします。集団行動を優先する教育をしています(学校だけでなく社会でも)。マニュアルがあればそれにきちんとしたがって物事を正確に行うことのできる高い能力を持っていると思います。
でもフランスにいるとフランス人の個々の能力って、日本人よりも高いな、と感じることがありました。まあこれま科学的なデータによって裏付けされているわけではなく、あくまでも印象ですが・・・
卑近な例ですと、レストランです。お昼のランチ時の混んでいるとき、フランスのカフェに入ると、日本に比べると驚くほどの少ない人数で給仕人たちが忙しそうに働いています。彼らが足を止めているときはないでしょう。人数が少ないからと言って、サービスが悪いとか待たされるということは、ほとんどありません。
ところが日本にもどってみると、レストラン(食堂でもいいですが)に給仕人が多いこと。お昼時のピークでも彼らの動きは緩慢です。別に彼らが怠けているといいたいわけではありません。彼らも一生懸命やっているのはわかります。でもフランスのカフェの給仕人たちの機敏な動きをみていると、もどかしさを感じてしまいます。
別の例では、妻はフランス滞在中に、フランス人が主催する文化教室にかよっていました。そこで妻が受けた印象は、とにかくフランス人は作業が早い(教室に来るのが初めてのような人でも)。しかもそれを周りの人と喋りながらやっている。妻は妻の友人(日本人)と受けたのですが、2人とも喋る余裕はなく、黙々とこなしていた。これはフランス語ができるできないではなく(2人ともフランス語できます)、手作業の早さだと妻はいっていました。
考えてみればフランスの人口は日本の約半分ですが、GDPは半分ではありませんね。日本のGDPは中国に抜かれる云々ということが報道を賑わしていますが、もともと日本の1人あたりGDPは決して高くありません。もちろんこれが能力の差としてしまうのは無茶ですけどね。
ちょっと横道にそれましたが、要はこれまで集団の力で勝ち上がり生き残ってきた日本は、これからのさらなる高齢化と人口減で、その集団の力がかつてのように発揮できなくなってきます。
そうすると個人の能力が問われてくると思うのですが、そういった個人の能力って高まっているんでしょうか? あるいは高められているんでしょうか?
集団の能力強化からから個人の能力強化への転換。これがうまくいかなければ、日本の人口減は縮小へと向かうだけのような気がします。
2011年2月9日水曜日
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