2009年11月27日金曜日

ケ・ブロンリー美術館




今日の午前中は文献資料調査を一休みしてエッフェル塔のすぐそばにあるケ・ブロンリー美術館(Musée du quai Branly)に行ってきました。

当時のシラク大統領の肝いりで建てられたこの美術館は2006年にオープンし、アジアやアフリカ、中南米等非ヨーロッパ世界の美術品が多数展示されており、日本でもいろいろと紹介されていると思います。

今回のパリ滞在中にぜひ訪れてみたい場所でしたが、今日の午前中は2回目の訪問。前回行った際に常設展は見てしまったので、今回は特別展を中心に見てきました。特別展の中で特に興味があったのは雑誌『プレザンス・アフリケーヌ』に関する展示です。『プレザンス・アフリケーヌ』誌は1947年から発行されている、アフリカの文芸誌でありアフリカの文化や芸術作品を紹介する雑誌です。それはまた植民地支配によって否定されたアフリカの人々の声や文化を復興させる役割をも担ってきました。その創刊者であるアリオーヌ・ディオプが来年生誕百周年を迎えることを記念してこの企画が実現されたのだそうです。

館内では、『プレザンス・アフリケーヌ』誌が発行される時代背景から始まって、雑誌の変遷と時代の流れがパネル展示されていました、中には当時の記録(公文書や新聞、写真)を用いながら解説してあるものもあり、展示スペース自体はそれほど大きくはないのですが、興味深く見てきました。たとえばマーカス・ガーヴィがパリに来た時の話であるとか、SACとか、もちろんあまり詳しくは書いていないのですが、ちょっと調べてみたくなりました(でも今後の課題で)。

そのほかの特別展ではアボメ王国(現在のベナン)の美術品が多数展示してありましたが、こちらもなかなかよかったです。

美術館自体はちょっとスノッブな感じがしてあまり好きではないのですが、結構楽しめる場所ではあります。ではまた。

2009年11月24日火曜日

外交史料館


パリに戻ってきて、今日から外交史料館でまた調査活動です。

外交史料館は、7区の外務本省(通称ケ・ドルセー)の中にあったのですが、パリ郊外、サッカーのワールドカップ開催地で有名なフランス競技場そばのクルヌーヴに引っ越しました。新しい外交史料館のオープンは今年9月ですから、できたてホヤホヤですね。写真のように外交史料館があることが外からでもちゃんと分かります。

9月からしばしばこの新しい外交史料館に通っていますが、一応僕が感じた引っ越しのメリットとデメリットです。

メリット:
閲覧室が広く明るくなった(収容人数に余裕があります、いままでのはだいぶ狭かったですね)
文献検索室もあります
デジカメが使える(ようやくです、これで手書きかパソコンにタイプする必要がなくなりました)

デメリット:
場所がちょっと不便(最寄り駅はRER B線のクルヌーヴ・オーベルヴィリエ駅、駅から近く、この駅は北駅から2つめなのですが、もとあった場所と比べると・・・)

これからしばらくはこの外交史料館に通うことになります。

2009年11月21日土曜日

ANOM(国立海外領土公文書館)


昨日エクスから戻ってきました。今回は写真にあるフランスの旧植民地に関する国立公文書館にいってきました。パリにも国立公文書館はありますが、旧植民地に関するものはエクスの分館に所蔵されています(モロッコとチュニジアに関しては外交資料館に保管)。パリからエクスまでTGVで約3時間、決して近くはないですが、現在のTGV地中海線ができるまではマルセイユまでいってローカル線に乗り継いでいっていましたから便利になったものです。

公文書館は建物が比較的新しく、閲覧室も開放的なデザインになっていて快適です。現在は公文書館の資料をデジカメで記録するのが主流になっていますが、かつてはコピーと手書き(パソコンに打ち込んでもよい)でおこなっており結構大変でした。コピーは1日にコピーできる枚数に制限があり(20枚程度だったような記憶があります)、しかもどの資料もコピーできるというわけではありませんでした(紙質や保存状態で規制されていました)。

その点デジカメでの記録には制限がありませんので、自由に記録することができ、効率的に資料を収集することができます。今回は3日間の滞在で約800枚撮りました(これから読むのが大変です・・・)。

またデジカメの性能が向上したのも大きいですね。今回はフランスに出発前の日本でリコーのR10 という機種を購入していきました(もう今はモデルチェンジしていると思いますが)。このR10なかなかよいです。資料の文字がきれいに撮れます。レンズも広角タイプですので広い面積が撮影できます。リコーのカメラはマクロ撮影に強いとの評判で選んだのですが、よい選択だったと思います。ただし公文書館内は間接照明で暗いことから手ブレしやすい環境にあります。僕にシャッターを強く押す癖があることも手ブレが起き易い原因です。この手ブレが一番困るんですね。ブレた文字は読めないですから。そこで僕はミニ三脚を持ち込んで撮影しています。ただミニ三脚ですと脚の長さが短いのでどうしても資料を真上からではなく斜めから撮ることになるのですが、それでもブレるよりは全然ましです。

公文書館の資料はだいぶ傷んでいます。話を聞くと保存状態の悪さから閲覧できなくなった資料が結構あるようです。写真資料はだいぶデジタル化されているのですが、文書をすべてデジタル化するというのは途方もない作業ですし、予算も必要でしょうからあまり期待できないですね。残念ですね。貴重な資料なんですけどね。

2009年11月18日水曜日

BDIC


16日にパリ郊外のナンテールにあるBDIC (Bibliothèque de Documentation Internationale Contemporaine)での調査が一応終了しました(始まったことがブログに書いていないので唐突ですが・・・)。

ここは主として20世紀以降の文献資料が収められており、アフリカ関係では、かつてド・ゴールの時代に存在したフランス共同体事務局の文献サービス部門(図書館のことですが)に所蔵されていた図書資料がそっくり移管されています。
そういうことから以前から一度訪れてみたいと思っていましたが、今回ようやく実現しました。

僕個人の研究の関係でいうと、ちょっとうーん、という感じでした。まったく成果がなかったわけではありませんが。
カード目録にはあるが、実際の文献がないというのが結構あり、それが残念でした。

17日からは南フランスのエクサンプロヴァンスにきています。
のんびり観光したくなる町ですが、ここに植民地時代の公文書館があり今度はそこでまた調査です。
エクスの様子はまた後日。

2009年11月14日土曜日

ゴンクール賞とナショナル・アイデンティティ


ゴンクール賞といえばフランスでもっとも権威のある文学賞の一つですね。その受賞者が11月2日に発表され、マリー・ンディアイ(Marie NDIAYE)が受賞しました。ンディアイはセネガル人の父親とフランス人の母親をもち、今回の受賞作Trois femmes puissantes(3人の強い女性たち)もフランスとアフリカを舞台にした作品です。日本ではンディアイさんの受賞に関しては、初の黒人女性が受賞、との見出しで記事が掲載されたようですが、こちらでは黒人女性云々というよりも、ンディアイの発言が物議を醸し出したことが話題となっています。

ンディアイは、8月に雑誌inrocks誌に掲載されたインタビューの中で、サルコジのフランスは「おぞましい(monstrueuse)」といい、自分たち一家がフランスからベルリンに移り住んだのもサルコジが政権をとったことに起因することが多であると発言していました。とりわけナショナル・アイデンティティ担当の閣僚であるベッソンやオルトフーの名前をあげて、再度「おぞましい」と言っていることから、ンディアイがサルコジ政権の進める国家によるナショナル・アイデンティティに違和感をもっていることが伺えます。

ところがンディアイのゴンクール賞受賞後に、与党国民運動連合(UMP)所属の国民議会議員エリック・ラウル(Eric RAOULT)はこの発言を蒸し返して噛みついたのでした。ラウルは、ンディアイの発言を「無礼だ」とし、ゴンクール賞受賞者には「慎む義務(dvoir de reserve」があると主張します。さらにラウルはミッテラン文化相に質問状を送りンディアイの発言への対応を求めます。

このラウルの行動に、ンディアイは悪い冗談だと思ったそうですが、公務員でもない自分に「慎む義務」なんてないと主張します。またゴンクール賞関係者も、そのような義務など存在していないし、これからもない、というような発言しています。(リベラシオン紙2009年11月12日)

ミッテラン文化相は、この問題への関与を拒否して問題の終結をはかります。またコシウスコ・モリゼのような他の閣僚も「作家は自らが望むことを言うべき」と発言し(フィガロ紙2009年11月13日)、政府はこの問題に終止符を打つ方向で動きました。

うーん、よく分からないのはラウルがミッテランに何をして欲しかったのでしょうかね。まあ、ラウルの行動はともかくとして、僕がおもしろいなと思ったことは、物議を醸したンディアイのインタビューの中に、自分は100%フランスの環境で育ったのであり、アフリカ・オリジンであることは、肌の色と名前を除いて、意味を持っていない、と述べていたことです。その彼女が違和感を感じる現政権が進める国家によるナショナル・アイデンティティって、やはりちょっと考えさせられます。また引き続き考えていきたいと思います。

2009年11月13日金曜日

第1次大戦とアフリカ


11月11日は、第1次大戦休戦記念日で祝日になっています。この日パリでは凱旋門の下にある無名戦士の墓で記念式典が行われるのが毎年恒例となっています。今年はドイツからメルケル首相が式典に参加したことが話題になっていました。これは日本でも報道されていたようですので、ご覧になった方も多いと思います。

この日式典が行われていたのは凱旋門だけではないことはご存じの方もいらっしゃると思いますが、フランス各地で第1次大戦で犠牲となった兵士たちへの追悼式典が行われます。その中でユニークな式典を一つ紹介します。

場所はパリ郊外のモントルイユ市。パリの東南に隣接し、メトロ9番線の終点がモントルイユ市役所です。

モントルイユは、アフリカにあるマリの第二の首都と呼ばれています。マリで一番人口の多い都市は首都のバマコなのですが、モントルイユはそれに次ぐ人数のマリ人が暮らしていることからそう呼ばれています。マリの大統領がフランスを訪れたときに、モントルイユに足を運んだこともあります。

このようなコミュニティーがあるのはフランスではめずらしいです。よくイギリスにはナイジェリア人コミュニティーですとか、ガーナ人コミュニティーとか、比較的アフリカの国ごとにコミュニティーが形成されています。それからの連想でフランスではどうなのかと質問されることがあります。でもフランスではアフリカの国ごとにコミュニティーが形成されているわけでは必ずしもありません。そういう点からするとマリは例外的です。どうしてマリだけそうなのか? うーん、そうですね。ちょっと調べてみますね。

話がそれましたが、モントルイユでは市長のドミニク・ボワネ(緑の党所属、上院(セナ)議員を兼職、ジョスパン内閣で環境大臣を務めた)が、今年初めての試みとして、第1次大戦に徴兵され戦死したマリ人兵士(植民地からの徴兵です、アフリカ植民地からの兵士は「セネガル狙撃兵」として有名です)をも追悼しようと呼びかけました。

そこでモントルイユではこれまでのモントルイユ出身の兵士を追悼することに加えて、マリからも11人の市長に出席してもらい、あわせてマリ人の犠牲者も追悼する式典が開催されました。ちょっと僕も式典をみてきました。写真はそのとき撮ったものです(うまく撮れていませんが・・・)。

モントルイユ市役所のホームページによればアフリカ植民地から徴兵されたアフリカ人兵士は16万にだったそうですが、そのうち犠牲になったのは3万3千400人。無視できる数字ではないですね。もちろんマスコミや世間の関心はメルケルですから、モントルイユの式典は地味でした・・・。

モントルイユ市役所のホームページの最後には、現在のサルコジ政権が進めている国家によるナショナル・アイデンティティを批判しています。
このナショナル・アイデンティティの問題はフランスで盛んに議論されていますので、またいずれの機会にご紹介したいと思います。

2009年11月10日火曜日

はじめまして




パリに来てからもう半年が過ぎました。

これまでは某SNSに投稿していましたが、思い切ってブログをつくってみました。
くだらない内容かもしれませんが、ご覧いただければ幸いです。
最初は僕のパリでの所属先とその周辺の写真をご覧ください。

ちなみに今日(9日)はベルリンの壁崩壊から20周年です。
フランス国内でも様々なイベントがおこなわれていました。
サルコジ大統領は独仏の連帯を提唱していましたが、フランスの若者は海外へ興味を示さなくなる傾向のようです。
エラスムスというEU域内での学生交換プログラムがあるのですが、エラスムスを利用するフランス人学生が減少傾向にあるとのこと。
その理由は、海外体験が必ずしも就職に結びつかないこと、財政的な問題といったことがあるようです。
ちょっと残念な傾向ですね。もともとフランス人は外の世界にあまり関心がないという評判でしたが。でもフランスの文化って外との交わりの中で発展してきたのですが。それでも近年のマンガブームで日本への関心は高まっているように感じます。